仏像名 |
ふりがな はいらたいしょうりゅうぞう |
興福寺 |
国宝 |
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波夷羅大将立像 |
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様 式 |
建永二年(1207) |
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俗称又は愛称 |
辰(たつ)を指す |
製作材質 |
木造、切金文様、彩色 |
樹 種 |
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像 高 |
115cm |
製作者 |
衆阿弥等作 |
安置場所 |
東金堂 |
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開扉期間 |
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解 説 |
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東金堂は神亀三年(726)、聖武天皇の創立になる。本像は治承の乱(1180)、後に再興されたもの。 波夷羅大将像の右沓底に「建永二年四月二十九日菜色了」との墨書銘記があり、他の十二神将像も建永二年(1207)、前後に造像されたものと推測される。 珊底羅大将像の右足枘には花押しと共に「衆阿弥□□」の墨書銘があって、造像に参加したものの一人ではないかと想像される。 この十二神将は目、頭髪の細部の技法や彩色法や文様などが各像異っており、表現の出来、不出来の差も大きい。 伐折羅、波夷羅大将像はその中で優れた作域を示す像である。動的な瞬間の緊張を見事に表現しており、慶派仏師の優れた作例の一つと考えられる。 十二神将像の頭部に十二支を付ける作例は、すでに藤原時代には見られ、「覚善抄」などにも記されているが、鎌倉時代になるとにわかに多くなる。本像はその最も早い時期の作例である。 「特別展 鎌倉時代の彫刻」 東京国立博物館 1975年より 東金堂の仏壇上に安置される十二神将像である。波夷羅の沓底に、建永二年(1207)、彩色の旨を記す銘記があり、これを含む一群の像が、その頃、完成間近であったことが推定される。 |
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私 の 想 い |
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左腰に木刀を構えて、身体ごとぶつける覚悟である。力の入る瞬間である。頭髪を逆立て、歯を剥き出して立ち向う。 |
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