仏像名

ふりがな ばさらたいしょうりゅうぞう

興福寺
制作年代

国宝
鎌倉時代

伐折羅大将立像

様 式

建永二年(1207)

俗称又は愛称

戌(いぬ)を指す

製作材質

木造、切金文様彩色

樹 種

像 高

113cm

製作者

衆阿弥等作

安置場所

 東金堂

開扉期間

解 説

興福寺東金堂に安置する十二神将像の一つ。寺伝には新薬師寺古像と伝えるが明らかでない。
 一具中の他の像の銘により、建永二年
(1207)の作なることが知られ、また衆阿弥と読める字がある。作風と合わせて考えて、安阿弥陀仏と号した、快慶一派の仕事かと思われる。
 この像を始め、全般的に非常に活動的な姿態を示し、自由な写実的技法に優れているが、やや技巧に走り過ぎて尊厳さを減じている。
「仏像ガイド」 美術出版社 1968年より

 東金堂の仏壇上に安置される十二神将像である。波夷羅の沓底に、建永二年(1207)、彩色の旨を記す銘記があり、これを含む一群の像が、その頃、完成間近であったことが推定される。
 いずれの像も、頭上に十二支の標幟を表し窄袖(さくしゅう)・鰭袖(はたそで)・裙(くん)を着け、着甲する。
 その内には、毘羯羅・波夷羅のように特徴的なポーズを示すものや、招杜羅のはく獣頭形沓、真達羅・安底羅のまとう獣頭つきの毛皮、波夷羅・安底羅・伐折羅に見られる膝・脚の露出など、特異な細部意匠を示しものがある。
 長寛二年(1164)、に長覚房定智が唐本より写した旧益田家本薬師十二神将図像や、和歌山・桜池院の絹本着色薬師十二神将像にはこれと酷似した表現が見られ、そのイメージの源泉に宋画の存在が想定できる。
 他方、益田家本や桜池院画像に含まれる半裸の像がなく、十二躯の内九躯までが表甲と前楯を表す事は、新薬師寺像以来の、十二神将彫像における造形的伝統が、継承されたものと言えよう。
 群像中では毘羯羅と伐折羅が出色の出来映えを示し、波夷羅・招杜羅・安底羅などがこれに続く。それらの像の自由な身のこなしや変化に富んだ表情には、鎌倉初期慶派仏師の作風的特徴が良く示されている。
 彩色の仕方についても、たとえば截金(きりがね)のされ、東金堂での造像が確認される定慶も、本像の製作に関与した蓋然性が高い。
「興福寺国宝展」 東京芸術大学美術館 2004年 より

私 の 想 い

 前屈みに身を乗り出して、左手を斜め前に伸ばして押さえ、右手で握る剣を突き刺す構えである。
 上目遣いの目に力が籠もる。止めの一撃を加えようとしている。この上目遣いは、もう一人の対する牽制もある。
伐折羅立像画像一覧その1
伐折羅立像画像一覧その2
伐折羅立像
興福寺に戻る
興福寺画像一覧 興福寺の写真が楽しめます。
興福寺花華一覧 興福寺の花華が楽しめま。
興福寺東金堂所蔵の仏像
薬師如来坐像 日光菩薩立像 月光菩薩立像
文殊菩薩坐像 維摩居士坐像
持国天立像 増長天立像 広目天立像 多聞天立像
宮毘羅大将立像 伐折羅大将立像 迷企羅大将立像 安底羅大将立像
額に羅大将立像 珊底羅大将立像 因達羅大将立像 波夷羅大将立像
摩虎羅大将立像 真達羅大将立像 招杜羅大将立像 毘羯羅大将立像
興福寺1(北円堂)
興福寺2(東金堂)
興福寺3(仮金堂)
興福寺4(国宝館)
興福寺5(南円堂)