仏像名

ふりがな やくおうぼさつりゅうぞう

興福寺
制作年代

    重文
鎌倉時代

薬王菩薩立像

様 式

建仁二年(1202)

俗称又
は愛称

重文は日光菩薩で指定される。

製作材質

木造
漆箔

樹 種

像 高

362cm

製作者

安置場所

中金堂

開扉期間

解 説

良薬をもって人々の心身を癒した兄弟の菩薩で、釈迦如来の脇侍として左右に配される例が多い。
 この二躯の立像は、明治時代に発見された像内納入品によって制作年代が同定され、鎌倉復興期の西金堂本尊丈六釈迦如来像の両脇侍と確認された。
 本尊が焼失した享保二年(1717)、の被災時にも救い出されて、文政二年(1819)、に再建された仮金堂の本尊釈迦如来坐像の脇時に迎えられて、現在に至っている。
 二躯はほぼ左右対称の造形で、蓮華座上に直立し、本尊側の膝を曲げて外側の足に重心をかけ、手を垂下して親指と中指を軽く曲げ、外側の手は臂を曲げて胸の前で親指と薬指で輪を作る。
 この手足の動きに整合するように上半身の正中線は緩いS字を描き、顔は軽く本尊側に向く。
 ギリシャ彫刻のコントラポスト(片足に重心をかけた動きのあるポーズ)に近い表現で、堂々とした豊かな肉付けにして整然とした造形は、鎌倉復興期の諸像の中では古典的・復古的な優品と言えよう。
「興福寺国宝展」 東京芸術大学美術館 2004年 より

私 の 想 い

右手は脇を開けて、肘を伸ばして下に降ろし、中指を中に少し曲げ、右の腿あたりで指先を下にしたまま宙に浮かす。
 左手は脇を少し開けて、肘を折り左胸に前で、親指で中指を摘む、影絵のキツネの印相である。
 スタイルの好い気品のある大きな仏様である。阿修羅像と同じような髪の結い上げである。正月当りにこのような髪形を結い上げた若い娘さんが街を歩く姿も観て見たい。
 平成21年4月の「国宝 阿修羅展」で東京国立博物館に出展された時には、次のように書いている。
 二段の蓮弁の蓮華台に立つ。腰から下の衣の波形は一つであるが、両足には、膝から下に翻波式と呼ばれる連続して波打つ、衣の刻み方が採られている。七段のU字を描いて下に落ちる。
 左右のそれぞれ両足側面の裾を金具で垂れ止めしている。横から観た時に、衣にアクセントがあり、一層気品を感じるのである。首に一本細いネックレスを巻いている。

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