|
仏像名で寺を探す | ||
仏像観て歩き 京都編2 |
名 称 |
如意寺 |
俗称又は愛称 |
|
||
所 在 地 |
京都府宮津市由良 |
最寄駅 |
|
||
開 祖 |
|
||||
沿 革 |
|||||
如意寺の快慶仏「地蔵菩薩坐像」像高53cm(府文化財)(安寿と厨子王伝説金焼地蔵・身代地蔵。実際に焼け跡があるという) 快慶自らが「巧匠アン阿弥陀仏」などと墨書した仏像は全国に20体ばかりしか伝わらないそうで、そのうちの4体がこの金剛院に伝わっていた。2体は今も金剛院に伝わる上のものであるが、もう1体は近くの青葉山松尾寺の重文・阿弥陀如来坐像(アン阿の墨書銘がある)と、宮津市由良の如意寺の地蔵菩薩坐像(身代わり地蔵)(巧匠アン阿弥陀仏の墨書)である。(舞鶴から言えばこうなるのであるが、宮津からはもともと如意寺のものであったが、金剛院に預けてあったのを取り戻したという) |
|||||
私 の 想 い |
|||||
平成25年7月に第六十九回「仏像観て歩き」として、若狭小浜市の寺々の訪問を終えて、今回の三つ目の目的である丹後の快慶作品を訪ねる旅となります。 今回の第六十九回「仏像観て歩き」の旅は、快慶仏の拝観も大きな旅の目的になっています。快慶が丹後地方に遺した4体の内の3体目なのですが、私は別な意味で絶対に拝観したいと思っていました。 平成20年7月に東京国立博物館で六波羅蜜寺展がありました。ライバル対決という趣向で、いろいろな分野の有名作品を分野別に並べて、展示した特別展が東京国立博物館で同時に開催された。 その時に運慶は、六波羅密寺の地蔵菩薩坐像であり、快慶は、東大寺公慶堂の地蔵菩薩立像で、地蔵菩薩の対決であった。同じ地蔵菩薩ではあるが、坐像と立像の違いである。 この機会に両者の作品で同じものはないか調べてみた。以外に在るようでない。阿弥陀如来では、運慶が坐像はあるが立像がない。快慶が立像は数多くある。良く調べたらば、京都・松尾寺像は、上品上生印の坐像であり、広島・耕三寺像は、坐像だが法界定印の阿弥陀像では珍しい印相である。更に宝髻の髪結いで如来の螺髪に肉髻ではない、それこそ、珍しい姿の阿弥陀如来坐像である。 残念だが、この旅では松尾寺像は拝観できないが、いずれ機会を作って松尾寺像を拝観したいものである。 不動明王では、快慶が坐像はあるが立像がない。運慶は、神奈川・浄楽寺像と静岡・願成就院像の立像がある。 唯一、大日如来坐像が両者ともに存在する。運慶のデビュー作の奈良・円成寺像であり、快慶は滋賀・石山寺像があります。この二像は共に多宝塔に安置されており、祀り方も似ている。ちぐはぐになっている事が多い、それだけにライバル対決とか言って、的外れな組合せが許せない。 地蔵菩薩では、運慶は六波羅蜜寺像の坐像のみで、立像はない。快慶は坐像がこの像で立像は東大寺像である。 東京国立博物館が行った的外れ(立像と坐像)を比べたライバル対決なるものを、坐像同士のライバル対決になる機会がこの旅で決着が着くのである。 私の中では五年掛かった事になる。大日如来坐像は決着済みなのだ。だから、残ったのは阿弥陀如来坐像の対決が、まだある。好く、良く、調べれば、地蔵菩薩坐像も大日如来坐像も阿弥陀如来坐像も存在するのである。 権力も場所もお金も人間も充分に存在する国立博物館ではないですか、一回こっきりで良くもライバル対決と大見得を切ったものよ。尻切れトンボですよ。ライバル対決を続けたら如何ですか。 平成27年10月に「仏像観て歩き」播磨・丹波・丹後・京都を「鎌倉時代の慶派仏師の作品を訪ねる」と云う事で企画した旅で、再び訪ねました。午前9時と云う事で、お願いしていた。既に、お堂は開いていた。舞鶴のお寺から、我々の為に来て、待って呉れていたのである。今日はこの後も金剛院、松尾寺など快慶作品を拝観しなければならない。 東京のお土産とイシダヤのドラ焼きと栗饅頭の詰め合わせを一昨日並んで買い求めたのをお持ちした。夏ではないので、傷む事はないと思います。早めに召し上がる様には、伝えました。 |
|
|